猛烈な台風MAEMIの残した傷跡をたどって

技術室  西村 和浩

 2003年12月17日から20日、韓国に14号台風MAEMI(北朝鮮の言葉でセミ)の残した傷跡の調査に、 石垣先生、戸田先生、馬場先生、吉田技官と共に向かいました。
 台風MAEMIは2003年9月発生直後はかなく消えてしまいそうな台風でした。  宮古島に接近するにつれて、台風勢力の予報は繰り返し上方修正されました。  台風に強い宮古島の島民が恐怖するほどの風が吹き、多くの建物のガラスが粉々に吹き飛びました。  台風対策のしっかり整っている宮古島では、宮古島台風のような壊滅的被害は防ぐことができましたが、 その後、台風が直撃した大韓民国では、防災対策が万全ではなく、死者・行方不明者があわせて100名以上、 史上最大規模の物的被害という莫大な損害が発生しました。
 強さ「猛烈な台風」MAEMIの残した傷跡について少々おつき合い願います。

写真1 海上ホテル
 初日は移動日で2日目は釜山近郊の被害調査でしたが最初に最もインパクトの あるものを見せつけられました。 それは左の図、海上ホテルの座礁現場でした。  埋立地の港湾内に係留したロシア製の船をホテルとして利用したものです。 2003年から 営業を開始していましたが、100億ウォン(10億円)の被害で復旧の見通し が立っていないそうです。

 台風が韓国に上陸する直前の最大風速は60m/sでした。  これほど大きなものがいとも簡単に倒されたこと、それ以外の場所での被害の 様子を知ったことでこの台風がいかに恐ろしいものであったか、 私たちの防災に対する意識の甘さなどを感じとる事ができました。 実際に河川の近くや 海の近くなどではこれほど強い台風が来てしまうと、 いち早く非難することが大切だとあらためて思い知らされました。
 釜山での調査の後に馬山で調査を行いましたが、このとき海岸から1kmのところまで浸水しましたし、 カラオケバーで非難せずに8名の方が亡くなられたことからも、 いち早く非難することが大切だということがうかがいしれます。


 3日目はソウルへ移動し、石垣先生と戸田先生の特別講義の後、 4日目は地下鉄高速ターミナル駅にて浸水の被害状況を調べました。  地下鉄ホームのほとんどが水に沈んでいたそうです。
 そのあとで、少々おみやげ物を買う時間があり韓国海苔とゆず茶などを買い、帰国の途につきました。  柚子茶は、お湯で5倍ぐらいに薄めておいしくいただきました。  先日、デパートで柚子茶が1000円くらい売られていましたので皆さんも一度お試しください。

 最後になりましたが、韓国でお世話になった方々と、 石垣先生、戸田先生、馬場先生、吉田技官、そして快く送り出していただいた技術室の方々に深く感謝いたします。

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